2012年2月26日日曜日

『納得』の見極め‐人生の選択を迫られた際の一助‐

前回、岐路に立った時にはどのくらい悩むかが大切ではないかと書きましたが、そこからもう少し考えを進めてみたいと思います。
(前回記事:岐路に立ったら

悩むのが大切とは言っても、ずーっと悩んでいることは、現実の中ではなかなかできません。「自分は一体、何のために生まれてきたんだろう?」というような悩みは、ある程度時間に余裕がありますが、岐路に立たされるような場合は、たいてい時間的な制約がくっついてきます。結局はどこかで区切りをつけて、何かを選択しないといけないですよね。1ヶ月後に結婚する人が、本当にこの人と結婚していいのか?と悩めるのは、1ヶ月です。

限られた時間の中で、何かを選択しなければいけない時、一つの基準となるのが、どのくらい納得できるか?ということだと思います。自分にとって大きな選択でも、充分納得して選べたら、それほど後悔することはないと思います。その選択が、自分にとってキツイものかどうかは別ですが・・・。

しかし、どのくらいの納得で、充分納得、とするのかは、これまた判断がなかなか難しいです。例えば今の仕事を続けるか、それとも辞めてしまうかという2つの選択肢で悩んでいるとします。今の仕事だと収入も安定しているが、本当に自分がやりたい仕事なのかどうか疑問に感じてしまう。仕事を辞めて、自分の興味がある仕事につくとしたら、やりがいはあるかもしれないけれど、今よりも仕事の内容はキツイ。収入も安定するか分からない、と。

そこで、こういうことをイメージしてみるのはいかがでしょうか?

いろいろ悩んだあげく、結局は仕事を辞めると決断したとします。しかし、3か月後くらい、少し自分が選んだ道を歩みだしたくらいの頃に、交通事故に巻き込まれて自分が死んでしまったと仮定してみます。その時に、果たして自分はオバケになって化けて出るだろうか?と思いをはせてみて下さい。化けて出そうだったら、自分の中にどこか引っかかる事があったり、後悔が残っている。死んでも化けて出なさそうだったら、充分納得したと割り切ってみます。このイメージ、判断の目安としていかがでしょうか?オバケなんて、そんなのいないからイメージできないという人にはおススメできないですが。

関連記事:岐路に立ったら
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月19日日曜日

岐路に立ったら

人生の岐路に立った時、この写真のような状態になってしまうことがありませんか?前にも後ろにも、右にも左にも行けない。どれかを選ばないといけないけれど、どうも、どれを選んでも先は暗いらしい。


こんなときはどうしたらいいものか悩みます。大抵は、最悪な中でもできるだけましなのはどれか?ということを考えるようです。被害は最小限に抑えたい…。でも、嫌なことが待ち受けていそうだから、一歩を踏み出したくはない…となってしまいます。

「どっちに行っても最悪なように思えるんですけど、どっちを選択したらいいんですか?」ということを、カウンセリングの中で聞かれるときがあります。これはすごく難しい質問ですよね。どっちの道に行くことが良いのかは、僕には分かり得ないですし、誰にもはっきりとは分からないのです。もしかしたら、江原さんは分かるのかもしれないですが、普通に考えると、先のことは神のみぞ知る、です。

じゃあ、考えるだけ無駄なのかというと、そうではないと思います。僕はこういうときに、どの道を選ぶかということよりも、どのくらいその事について悩むかが大切だと思っています。要するに結果よりも過程が大切だと思うのです。

どっちにしようか?とあまり悩まず、いい加減に決めてしまうと、「やっぱり別の道にすれば良かった」と後悔が残りやすくなるみたいです。反対に、ちゃんと悩めば悩むほど、選んだ後に後悔することは少ないようです。何でそうなるのか、はっきりとは分かりませんが、たくさん悩んだので、自分が選んだものに思い入れが強くなるということはありそうです。何か良いことが起こったら「やっぱりこっちで良かったんだ」と、その変化に気づきやすくなるのかもしれません。また、悪いことが起こった時には、その結果を、他人のせいにするのでなく、自分の責任として腹をくくって捉えられるのかもしれません。

理由はどうあれ、自分で「よし!これは大事な場面だから、ちゃんと悩んでみよう!」と思って悩んだ方が、いつのまにか悩んでたというときよりも悩みに翻弄されることが少ないようですよ。

もう少し考えを進めてみた記事:『納得の見極め

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月13日月曜日

物々交換

学生の頃から、海外旅行が自分の生活で重要なポジションを占めています。僕は、行きと帰りのチケットだけ買って、できるだけその国の人たちと同じ水準で生活しながら、街をフラフラするのが好きです。行く前には、ほとんどその国のことは調べません。行きあたりばったりというのが、一番そこに住む人とのやり取りが発生して面白いです。出発前に情報を入れすぎると、新鮮な感じも薄れてしまいますし…。

当然、仕事を持ってからは1週間程度しか行けないのですが、数年前にアフリカらしいアフリカに行ってみたいと思い立ち、ケニアに行きました。飛行機を乗り継いで、ナイロビの空港に着き、外に出てみると、もうそこにはキリンやシマウマがのそのそと動いていました。ナイロビは治安も悪いらしいので、僕はすぐにサファリツアーを申し込んで、都市を離れました。

サファリというのは、車に乗りながら野生動物を見て回るものです。夜は、ハイエナの遠吠えや、何かの足音に怯えながらテントで寝ます。朝日を見ようと歩いていると、マサイ族がやってきて、「朝は、危ないから早くテントに戻れ!前にイギリス人がゾウにアタックされて死んだんだ」とのこと。さすがにアフリカまで来ると、人間だけでなく野生動物にも襲われる心配があるのかと笑ってしまいました。

マサイ族の若者

サファリの合間、僕もそうなのですが、マサイ族も暇そうにしていたので、彼らと話をしました。その中で、一人のマサイの若者と仲良くなり、話しているうちに、ふと、彼が腰からぶら下げている木の棒のようなものが目につきました。聞いてみると、その棍棒で動物と戦うのだと言います。人間以外はどんな動物でも倒してきて、ライオンでさえこれで殺す、と。棍棒は先端がドライバーのヘッドのような形で、長さは孫の手くらいしかないのです。このリーチで戦うなんて無謀じゃないか?などと考えていると、「お前は、ライオンが怖いか?」とマサイ族。「怖い」と答えると、「オレは怖くない」と胸を張って主張します。けれど、マサイ族が赤い布を身にまとっている理由を聞いてみると、「赤はライオンが怖がるから」とのこと。ライオンのこと、結局怖いんじゃないの?と内心思いつつ、棍棒を手に取って、振ったりしていると、「この棍棒、欲しい?お前の服と交換しないか?」と持ちかけてきました。マサイ族がライオンを倒したという棍棒、悪くないなぁと思い、ユニクロのTシャツと交換しました。今頃、彼はユニクロのTシャツを着て、サバンナを駆け回り、僕は今、日本にて、棍棒で肩を叩いています。

彼は、僕が持っていた『CASIO』の2千円くらいの時計にも興味を持ち、それも交換してくれと言ってきました。ちなみに彼も時計は持っていたのですが、『CASIQ』というもの。時計は旅に必要だからダメだと断っても、本物への憧れからか、なかなかあきらめず「牛1頭と交換でどうだ?」と真顔で言ってきます。ちょっと面白いなとは思ったものの、「さすがにそれはいらない。持って帰れないし」と断ると、「じゃあ、ヤギでどうだ?」と。

外国というよりは異国といった趣のケニア。自分と全く違う文化で育った人と話すと、自分自身が今まで持っていた既成概念や考え方が壊れることがあります。壊れたと同時に、自分の自由度も増すような感じがあって、僕はその瞬間が結構好きです。実はカウンセリングというのは、異文化との交流でもあるので、僕はそこに魅力を感じているのかもしれません。

さすがにマサイ族には簡単に会いに行けませんが、日本にいても自分とは異なる文化を持った人っていっぱいいますよね。僕は、自分と違う職業の人と話すのが好きなのですが、行き詰ったような時にそういう人と話をすると、状況を打破するようなヒントがもらえたりしますよ。
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月8日水曜日

心が弱い

『心が弱い』という言い方があります。

何か心に負担がかかった時に、落ち込んだり、身体の具合が悪くなったりする人に対して、そう言ったりします。

確かに、そういう見方もできるのでしょうが、それは少しもったいないかなとも思います。心が弱いと言われている人を見ていると、色々なことを感じ取る力があるという方がしっくりくるような気がします。

僕らの生活の中には、緊張してピーンと張り詰めた雰囲気や、誰かが自分にイライラしてピリピリした雰囲気、仲の良かった友達がちょっとした行き違いで離れていってしまうような気まずい雰囲気など、色々な雰囲気が通り過ぎます。心が弱いと言われる人は、そのようなものをより感じ取って、影響を受けてしまうのだと思います。

けれど、そういうことを感じ取る力があるからこそ、人に対しての配慮ができたり、接し方がやわらかかったりします。

また、悪いことばかりを感じ取っているのでなく、同じ時間を過ごしても、多くの人が見過ごすような部分に感銘を受けたり、同じ映画を見ても独特な印象を持ったり、個性的に世界を切り取っているようにも見えます。その能力をいかして、クリエイティブな仕事をしている人も多いのではないでしょうか?

『心が弱い』と言ってしまうと、悪いイメージがくっついてきて、何とか強くしなければいけない気がしてしまいます。けれど、『色々なことを感じ取る力がある』と捉えておいた方が実りが多いと思います。

ということで、心が弱い僕は、このブログに本名は載せないことにしました。やはり誰かから批判をされるのは怖いですからね。


そうは言っても、心を強くしたいという方に
お勧めの関連記事:『心のディフェンス力をupさせる』『乗り越えるべき壁?』『ネガティブな考え方をポジティブに

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月5日日曜日

このブログについて

このブログには、臨床心理士の管理人が日々思っていることを書くつもりです。

臨床心理士としての正しい知識を伝えるのでなく、 そんなお仕事をさせていただく中で個人的に感じたことを書きたいなぁと思っています。

海外旅行も好きなので、そんなことも織り交ぜつつ書き綴っていきたいです。
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ