2013年3月30日土曜日

オタクの真価は最期にこそ発揮される

僕は病院で働いているので、ガンで余命が少ない方のお話を聴く機会があります。

そういうカウンセリングの中では、その方が、これまで生きてきた自分の歴史を振り返って「あぁ、自分の人生ってこうだったなぁ」と感慨にふけることがあります。そうすることで少し気持ちが穏やかになるみたいで、大事な作業だと思っています。

この自分の人生を振り返るという作業をする際に、オタク的な部分を持っている人は、そうでない人と少し趣が異なっています。先日、あるスポーツのオタクだという人と話す機会がありました。その方が小さい頃から夢中になって見てきた歴史を教えてくれて、この時代にこういう偉大な選手がいて、その後、別の流れが来て…、というように話してくれました。そして、そのスポーツの記憶に付随して、その時々の自分を思い出しながら人生を振り返っていました。

自分の人生を振り返るときに、印象的な出来事をダイレクトに思い出しながら振り返る人も少なくないのですが、オタク的な部分を持っている人は、自分が夢中になってきた物を、緩衝材のように間に置いて振り返ることができるのです。もちろん、こっちの方が良いとか、あっちの方が悪いとかいう話ではないです。けれど、オタク的な人生の振り返り方はさわやかだし、面白みもあるので、個人的には好きです。

自分自身を振り返って考えてみると、そんなに夢中になれるものがないので、今からでも作った方がいいんじゃないかと考えさせられました。

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2013年3月11日月曜日

あきらめることから始まること


カウンセリングをしていると、「もう、あきらめの境地ですよ」というセリフを耳にします。自分なりに努力したり、工夫してみてもなかなか結果が出ない時に、そういう心境にいたるようです。

このセリフだけ聞くと、問題を放ったらかして、断念している印象を受けます。外から見ていると、励まして前向きにしたい気持ちにもなります。しかし、実際は、そういう風に語った後、良い意味で変わっていくことが少なくないです。

何でそうなるのか僕も不思議に思ってました。けれど、あきらめるの語源を知って、気づいたことがあります。

諦めるの語源には、“明らかに見極める”という意味があるらしいです。ですから、そのような心境には、ネガティブな思いだけではなくて、どこかで自分自身や、置かれている状況を受け入れるような気持もあるのだと思います。

これを自己受容と言います。今まで受け入れがたかった自分の一面を受け入れるのは、その人の行動に大きな影響を与えます。それが良い変化を生むのだと思います。

じゃあ、最初からあきらめたらいいのか?と言うと、もちろんそうではありません。『スラムダンク』の中に、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西先生の名言がありますが、その時のあきらめは、投げやりという雰囲気が含まれているのだと思います。

あきらめることを勧めはしませんが、紆余曲折を経た後に生まれる、寂しさと受容が混じったようなあきらめは、良い変化を生むことが多いですよ。

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