最近、メディアによっていじめが取り上げられていますし、国としてもそこに力を注ぐようになってきたみたいですね。
そういう問題が出ると、小さいころから教えられていたのは、“人はみんな平等なんだ。だから差別したり、いじめたらいけないんだ”というものです。それはそうなんだろうけど、ふだん生活していて、“人は誰でも平等だ”なんて実感することは少ないですよね。そして、実感が少ないことを語っても、あまり相手には響きません。
僕も“人は、平等”なんて、ずっと実感がないままに生きてきました。南米に行くまでは…。
チリの北部からアタカマ砂漠を越えて、ボリビアのウユニ塩湖まで行くルートがあって、それは見どころもたくさんあるので、2,3泊しながら行きます。僕も、南米を旅行した時、そのルートで国境を越えました。色んな国の貧乏旅行者が同じルートをたどっていました。けれど、そのルートには、標高が高くて高山病になりやすいという落とし穴があります。
アタカマ砂漠を抜けると、ウユニ塩湖が広がります |
高山病は、本当にしんどくて、頭は痛いしゲロは吐くし。現地の人が高山病に効くからとコカ茶を飲ませてくれたのですが、それすらも吐いてしまうような感じでした。ですが、ふと見ると、そこに集まっていた様々な人種、性別の人が、みんな等しくゲロを吐いていました。屈強な身体つきの欧米人も高低差という驚異の前ではなすすべなく、オエーっと同じ効果音を出しながら吐いていました。苦しさの中で、僕の頭の中には“人類みな平等”という言葉が浮かんでいました。
こういう経験をすると、今まで教わっていた差別やいじめをしちゃいけない理由が実感をもって浸透するものです。けれど、子どもたちをみんなボリビアに行かせるわけにもいきませんしね。なかなか難しいです。もう少し別のアプローチを考えるべきなのかもしれません。