2012年6月5日火曜日

助けられ力

ヒーローに代表されるように、誰かを助ける力というのは注目を集めがちです。けれど今回は、助けられる側について書きたいと思います。

2年前に、チュニジアと南イタリアを旅行しました。チュニジアは、イタリアから地中海を挟んだ対岸にある国です。はじめにチュニジアを周って、その後、フェリーに乗ってシチリア島へ渡りました。シチリアには、夜の10時半に着く予定でしたが、出発がすごく遅れて夜中の2時に着きました。遅れた理由を聞くと、チュニジア人がチケット売り場にちゃんと並ばなくてケンカになり、手続きが遅れたということでした。確かに、日本では当たり前のように列を作りますが、チェックインカウンターにごちゃっと人が集まっていて、口論になってました。僕も真似して割り込んでみたら、チュニジア人にメチャクチャ怒られました。

チュニジア Sidi Bou Said
そんな理由で深夜2時に着くと、ゴミをあさっている人以外は誰もいなくて、危険な香りが漂っていました。シチリア島=マフィアというイメージも後押しして、ドキドキしながら、急いでホテルに行きました。けれど、僕が予約していたのは安いホテルで、着いたらシャッターが完全におりていて、中をのぞくと真っ暗でした。これは野宿しかないかな?けど、危険だよなぁと考えながら、どうしたらいいのかしばらく途方に暮れました。

すると、細い路地からトロトロと一台の車が走ってきました。僕は車の前に身を投げ出し、人生で初めて心の底から「Please help me.」と言いました。車には、若いカップルが乗っていて、「どうしたの?」と聞いてくれました。僕が事情を説明すると、「そこ(ホテルの入口)に電話番号が書いてあるから、電話したら?」と。「いや、僕はイタリア語話せないから…」と言うと、彼らが電話をかけてくれました。そして、「10分くらいでホテルの人が来るみたい」と教えてくれ、その間、車を脇に停めて一緒に待っててくれました。

僕は、汚い恰好で旅行していたので、彼らからしたら、僕の方があやしい東洋人です。それでも彼らが助けてくれたおかげで、屋根の下で寝ることができました。けれど、ちょっと見方を変えると、そこで何か助けてやろうという気持にさせて、助けてもらえるというのも、一つの能力じゃないかと思うのです。これを僕は“助けられ力”と呼んでいて、一つの才能だと自惚れています。前に、僕は英語があまり話せないのに外国を旅行していると書いたのですが、こういう風に色んな人に助けられつつ旅行しているのです。
(関連記事:『伝える技術』

普通は、人を助けたり引っ張っていく人の方が、尊敬されたり、目指すべき目標とされます。のび太よりもドラえもんの方が、やっぱり目立ってますよね。けれど、いつも人に助けられているのも、それはそれで、才能ではないでしょうか?とげとげした、嫌な雰囲気が出ていたら、誰も助けてはくれないと思います。どこか力をかしたくなるような雰囲気がただよっているから、助けてもらえるのでしょう。

これって地味だけど、人と一緒に何かするときには必要な力ですよね。当たり前のことですが、一人でやれることには限界がありますから。


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