2012年8月25日土曜日

いい人って、こういうことじゃない?


先日、赤ちゃんと見つめあう機会が立て続けにあったんです。普段、誰かと目を合わせ続けると、何だか居心地が悪くなってきて、長時間はきついです。けども、赤ちゃんとだったら、ずっと見つめ合ったままいられます。しかも、誰とでも。これは赤ちゃんが無邪気だからなのではないか?と発見しました。まさに、字のごとく、邪気が無いわけです。

そこで連想したのですが、“大人はみんな汚い”という言われ方ってありますよね。それは確かに本当で、間違ってないのだと思います。けれど、大人はという制限ではなくて、赤ちゃん以外は、にした方が正しくないですか?

トルコで会った赤ちゃん
本当に小さいころは誰でも無邪気ですが、このハードな世の中に触れるにつれて、何かしら黒い部分って出てきます。ですから、大人に限らず、子どもにだって黒さはちゃんとあるし、そういう部分も持っていないと生き辛くもあるわけです。

そうは言っても、みんな黒い部分を持っているから、嫌な人ばかりなのかというと、そうではないですよね。イコールではないです。いい人だっています。

じゃあ、その差は何なんだと考えると、それは自分が抱えている黒い部分を自覚しているかどうかじゃないでしょうか。僕が嫌だなと感じるのは、自分の黒さを自覚してなくて、漏れ出しちゃってるのが見えた時です。反対に、自分の黒い部分を自覚している人は、不必要にそれを垂れ流すことも少ないので、周りの人にそれほど悪影響は与えないでしょう。

つまり、いい人っていうのは、黒い部分がない人ではなくて、黒い部分をちゃんと自覚している人なのではないでしょうか。それができてる人は、魅力的にさえ見えますよね。聖人と言われる人だって、きっと何かしらの黒い部分を抱えていたのだと思います。

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2012年8月14日火曜日

アンビバレンス


最近、竹島問題が取りざたされていますね。僕は、サッカーを観るのが好きで、オリンピックでの問題から色々と知りました。ネット上では、韓国に対するネガティブなコメントが多いようです。

10年以上前は、歴史の教科書に載っているくらいしか韓国のことを知らなかったですが、ヨン様が登場して、韓流ドラマやK-POPが流行して、日本の中での韓国の認知度は高まったように思います。それで韓国が好きになった人は増えたと思いますが、同時に、韓国を以前よりも嫌う人も増えた気がします。

以前よりも知ったからこそ、好きな人と嫌いな人が出てきたような気がするのですが、どう感じますか?

これが、国というレベルでどういうことを意味しているのか分かりませんが、個人に当てはめて考えてみると、悪いことじゃないよなと思います。

自分が好きな人の中にも嫌な部分はあるでしょうし、嫌いな人の中にも少しは認められる部分もあると思います。どんな人に対しても、100%好きとか、100%嫌いということはないでしょう。大抵は両方を持っています。

この好きだという気持ちと、嫌いだという気持ちを同時に持っていることをアンビバレンスと言います。これを同時に抱えているというのは、スッキリしないですが、大事なことです。

なぜ大事なのかという答えは、スナフキンが語っています。ある動物が「あなたは何でも知っている人でしょう?」と問いかけたとき、スナフキンは「あんまり誰かを崇拝するのは、自分の自由を失うことだよ」と諌めます。名言ですね。その逆もまた然り、ですよね。

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2012年7月31日火曜日

できないことで、できるようになること


弱点克服ということは、色々なところで使われていますし、一定の支持も集めているようです。確かに、それも必要なことだと思いますが、多くの場合は、できない所を突きつけられるだけのような気がして、個人的には好きになれません。

僕は、面倒くさがりです。それが高じて、落ちているごみは足でそのまま摘まんでゴミ箱に放り投げたり、両手がふさがっていたら、足でドアノブを回して開けたりするしまつです。その結果、今では足先が器用で、それがささやかな自慢です。

これは僕が面倒くさがりで、いちいちゴミをしゃがんで拾ったり、持っているものを置いてからドアを開けるのが面倒だったから育ってきた能力です。何かダメなことがあると、それを補うように伸びる能力ってあります。

もう1つ例をあげると、僕はあまり英語を話せません(関連記事:『伝える技術』)。それなのに色んな国を旅しているのですが、それを言うと、さぞかし危険な目にあったのではないかと思われるみたいです。けれど、ほとんどそんな目にあったことないです。言葉が通じないと入ってくる情報も少なくなります。だから、その街の状況とかよく分からないまま旅行しているのですが、よく分からないからこそ、周りの気配や雰囲気に敏感になるのです。ちょっと危険な雰囲気のする方には近づかないようにしたり、そういう場所を通る時は、周囲の様子を気にしながら歩いたりしています。つまり、言葉が分からないから、五感が研ぎ澄まされて(とまで言ったら大げさですが)、危険な目に合わないのです。

これらは、弱点克服していたら、育たたなかった能力と言ってもいいでしょう。

本当は、誰にでもそういう部分があると思います。サッカー選手のメッシは、背が伸びない病気だったらしいですが、多分、背が小さい中でも勝負できるように工夫して、今みたいなすごいテクニックを身に付けたのだと思います。

だから、何かが人よりもできないという事を、怖がりすぎる必要はないんじゃないでしょうか。できないことで、できるようになることもありますよ。

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2012年7月23日月曜日

魅力を生み出すもの

僕が旅行に行って感心するのは、カメラマンの腕です。旅行前にガイドブックなどを見ていて、これはすごそうだなぁと期待を膨らませつつ行ってみると、「これが写真の場所?こんなもんなの?」と思うことがあります。やはりプロの仕事はすごいです。

イタリアのマテーラ
けれど、1ヶ月前に行ったイタリアのマテーラという街は、ガイドブックの写真よりも、もちろん僕の写真よりも実物の方が良かったです。写真との違いは、街の質感じゃないかと思いました。乾燥して色あせた街並みが醸し出す雰囲気は、なかなか写真におさめられるものではありません。

よく「中世にタイムスリップしたような」とか「異世界に迷い込んだような」という表現をガイドブックは好んで使ってますが、実際に行ってみるとそうでもないことが多いです。けどこの街は、旧市街に入ると本当に異世界に入ったような不思議な感覚があります。そういう場所はめったにないので、人気が出そうなものですが、今のところ、それほど観光客も来てないみたいです。

もちろんマテーラの街自体も良いのですが、自分が予想していたもの以上の光景が目の前に広がることで、やっぱり魅力が増すと思います。魅力が生まれる時には、このようなギャップが関係していることが多いと思います。

旅行とは関係なく、人に対する印象などもギャップがあると魅力的に見えます。たまに、自分自身に対して持っているイメージからはみ出すような行動をとることにためらいを感じる人がいます。今まで怒ったりしたことないから、急に怒ったりしたら自分のキャラと違うから我慢してるとか…。けど、僕はそういう風なギャップが魅力につながると思うんですけどね。どうなんでしょう。

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2012年7月10日火曜日

心のリフレッシュ

心のリフレッシュというのは、こういうことなんじゃないか?と一周まわって再確認したので、それを書きたいと思います。

先日、クロアチアとイタリアを旅行してきました。1週間という短い時間で、プリトヴィッツェ湖群国立公園→ドブロブニク→アルベルベッロ→マテーラを見てまわりたかったので、予定を詰め込みすぎてしまいました。それに加え、時差と暑さで休暇なのに身体的にはかえって疲れました。けれど、気持ち的にはリフレッシュできたと思います。


『リフレッシュする』=『何も考えないで、ただ頭をからっぽにする』というイメージを持つ人もいるのではないでしょうか。けれど、よく考えると、頭をからっぽにするというのは、お坊さんが修行してやっとたどり着く境地のような気もします。僕の場合は、旅行中、からっぽどころか、色々と考え続けています。あの予約はちゃんととれてるかな?と心配したり、この街をこのぐらいの時間に出発すれば次の街には暗くなる前に着くかな?とか、次は、港町に行くから、シーフードは明日にとっておいた方がいいかな?とか…。もちろん、その国について考えを巡らせてもいるので、頭の中は、むしろ普段よりも忙しいくらいです。

そうしているうちに、頭の中は日常から切り離されていき、旅行についての考えで埋め尽くされます。そして、1週間が経つ頃には、身体は疲れ、気持ちはリフレッシュされているのです。

リフレッシュというのは、頭をからっぽにするのではなく、別の何かで埋めていく作業のような気もします。何か悩みがあるときに、映画を観たり、小説を読んだりするのも、その1つだと思います。ここまで書いてみて、当たり前のことをまわりくどく説明しているだけのような気もしてきましたが、行き詰ったときには、意識して全く関係ないことで頭の中を一杯にするのは、一つの方法かもしれません。

アルベルベッロの路地裏

写真は、トゥルッリというトンガリ屋根の家で有名なアルベルベッロの街並みです。トゥルッリはそんなに大きくないのですが、中に入ると何故か落ち着きます。どうしてなのか考えたのですが、それは建物の内部に直線がないからなのかもしれません。よく観察していると、構造も難しくないし、自作できそうです。こんな小屋が庭にあったらいいなと思いました。

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2012年6月25日月曜日

乗り越えるべき壁?

今回は、壁を乗り越えることについてのお話です。

なにかの趣味にしても、仕事にしても、行動や考え方にしても、自分が成長していく過程では、どこかで壁にぶち当たります。その壁を乗り越えるというのは、外から見ている分にはドラマがあるので、小説や映画、マンガなどの題材になってます。特に少年マンガでは、主人公がなかなか敵を倒せないとき、自分の中の壁を乗り越えて、今までにない力を出して敵を倒す、というシーンはよくあります。見ていてこっちも力が入るところです。

けれど、ある人が「なんか、壁があったら乗り越えなきゃいけないっていう感じに世の中の流れではなってるけど、私は、そうかな?って思う。逃げ切れる人ってかっこいいなぁって思う。私は逃げて逃げて、逃げまくりたい。できれば、こっそりいなくなって、逃げたことを周りに気付かれないようになれるといい」と言ってました。僕はこれを聞いて、目からウロコがポロリと落ちました。

もちろん、この人も自分にとって大切なことだったら、何とか乗り越えようとがんばるはずです。全くそういう気がなければ、そもそも壁を乗り越えることなんて意識しないでしょうから。けれど、僕たちは、自分では特に大切だとは思っていないことなのに、いつのまにか壁の前に立たされていて、「乗り越えろ」とお尻を叩かれることがあります。この人が言ったのは、そういう時のことだと思います。そのような状況に追い込まれると、とても苦しいです。「できない自分に力がないのかぁ」と悩んだりします。

僕は、そうやって悩んでいる人の話を聞くと、『西の魔女が死んだ』という小説を思い出します。その中で、「シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」というセリフがあります。要は、自分に適した場所に行くのはとても自然だということなのでしょう。それは、逃げるということとはちょっと違うのかもしれません。

もし壁にぶつかったらちょっと立ち止まって、そこがハワイなのか?北極なのか?を考えてみるといいですよ。自分がどうすべきなのかが見えてくるかもしれません。

西の魔女が死んだ
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2012年6月15日金曜日

“考える”についての考え

今回は、本の紹介です。『世界を歩いて考えよう!』というタイトルです。
著者が世界を旅する中で、驚きや感動や違和感などから考えを広げていき、新しい物の見方を提示しています。


外国について書かれた本は、その国の歴史・経済・文化のいずれかの切り口を掘り下げていくものが多いですが、この本は、それら複数のジャンルをつなげながら描いています。ですから、立体的にイメージしやすく、その国を旅しながら感じ、考える感覚がよく伝わってきます。僕も、旅行が好きでたくさんの国を旅しましたが、なるほど、そういうことが起こっていたのかと感心する点が多かったです。旅行が好きな人には、これから旅する際に、ここも注目したら面白いかもという視点を増やしてくれますし、旅行しない人には、教科書に載っていることやニュースで流れていることが、その国では実際にどういう影響として表れているのかを理解する助けになります。


けれど、この本の魅力は、そのように少し距離を置いた所から感心するだけでなく、自分から進んで考えることの面白さを教えてくれる点です。文中には、“自分のアタマで考える”というキーワードが出てきます。自分の頭で考えるのは、もちろん大事なことですが、どこか面倒な気もしちゃいます。それは、そうせざるを得ない状況に陥って、考えさせられているときのイメージと被ってしまうからだと思います。ですが、本の中で出てくる疑問や引っ掛かりに対して、自分もちょっとだけ想像力を働かせて読むと、気づきがあり、今まで自分が見ていた景色が一変する楽しさを体感できます。やっぱり、能動的に考えることと考えさせられることは、行為としては同じですが自分の感じはずいぶん違うものです。自分と異なる文化との出会いは、世界に出なくてもしょっちゅうあります。そこで起こった引っ掛かりを大切にしたら、日常がもう少し面白くなるのかも、などと考えました。


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という手がかりからさっそく自分のアタマで考えを広げてみると、悩むというのも考える行為の一種ですよね。つらい悩みは、客観的には、その人が勝手に悩んでいるように見えますが、主観としては受動的で、悩ませられていることが多くないですか?自分のコントロールできないところで勝手に湧いてきて、嫌なんだけど考えさせられちゃってる気がします。反対に、晩ごはん、ハンバーグ食べようか?トンカツ食べようか?と考えるのも悩みですが、自分から悩んでいるので苦しくはないです。ですから、本当につらくて、悩みに翻弄されている場合は、むしろ自分から、「よし、これについて悩んでやろう」と主体的に悩む時間を作るのも一つの手かなと思います。おそらく、同じ内容を考えていても自分の体感は違いますよ。

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